【城巡りの旅 その3】安土城跡行ってきた
2016年 04月09日 00:05 (土)
天守はないので正確には城巡りにはあたらないかもしれませんが、とにかくここが今回の旅の最後の目的地です。石段の数にして500ほど、高さ約190mの安土山登山に挑みます。
直前にテレビ番組や写真などで見てはいたのですが、実際のこの石段を目にして真っ先に感じたのは「こりゃきっと下りの時の方がキツそうだわ」でした。
何しろ一段がやたら高い、その上あまり平らではない石も沢山あるのです。
転んで怪我しなきゃいいけど大丈夫かな、とやや不安でした。
それでもここまで来たら上るしかありません。
いざ、入場料を払って出発です。
最初の石段途中左手に見えてきたのは「伝豊臣秀吉邸跡」この右下が「伝前田利家邸跡」で右上が「伝徳川家康邸跡」
これらの邸宅跡は、そんなに悪くない場所のように個人的には感じました。
だって重臣だからと言って、天主の側のもっと高い場所に邸宅建てさせてもらっても、あんまり嬉しくないと思うんだけどなぁ。
高過ぎると色々と不便で仕方ないでしょ。
なんてのは所詮小市民的発想なんでしょうけどね。
これより上にも「伝織田信忠邸跡」だの「伝森蘭丸邸跡」なんてのがあるそうなのですが、どこのことだか良くわかりませんでした。というより、
あまりの上りの辛さに景色を眺めている余裕なんて、す〜ぐどこかに吹っ飛んでいきましたから。
とにかくヘトヘトなので、次に足を運ぶ目の前の石段しか目に入りませんてば。
そんなこんなでなんとか山頂の天主跡に到着、ようやく景色を眺める余裕ができました。
織田信長が生きていた頃には、この安土山の山裾まで琵琶湖の水が来ていたそうです。
なので上の写真は信長の眺めていた景色とは全く違うってことですな。
写真の方向に信長が見つめていたのは琵琶湖の水のみということになります。
こうしていよいよ懸案の下り道です。
上りと下りは違う道を行きます。
案の定転んだ者が一人。
一番若い下の娘が思いきり前方に向かって転んで左の膝小僧にアザを作りました。
でも彼女はこの翌日何もない所で転んで、今度は右の膝小僧にさらに大きなアザを作ったので(笑)この登山の負傷としては軽く済んだので良かったです。
下り道の途中で、私より若いと思しき女性を追い越しました。
体にボリュームのある方で、みたところ膝の荷重オーバーのようです。
ところがその後、慎重にそろりそろり石段を降りる私を、明らかに私より年上の夫婦がスタスタ追い越して行ったのです。
恐るべしシルバーパワー!
私が10年後20年後に、あの夫婦のように軽快に歩けることはないと思います。
その観点からすれば、今回こうしてこの安土城跡見学に行ったのは、ラストチャンスだったかもしれません。
思い立ったが吉日。いつか行きたいじゃ、いつまでたっても行けないわよね。
この三重塔は室町時代の建物だそうです。
ぱっと見ではきちんと手入れされてるんだか、されてないんだかわからない状態でした。
石段の整備されていない具合も、荒れているという程度ではなくて、手入れはされているけれど、整備はされていない、そういう微妙な感じでした。
観光地ではなく史跡、そんな雰囲気を味わうには絶好の場所です。
歴史好きならば一度は尋ねてみる価値があると思います。
この後我々は乳酸が溜まりに溜まった足を引きずりながら、帰宅の道を東へと進みます。
シャチと城を巡る旅はこれで終了。お疲れ様でした〜。
旅は道連れ世は情け派の人はコチラを→
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両方ポチッとする人に神の御加護があらんことを!
直前にテレビ番組や写真などで見てはいたのですが、実際のこの石段を目にして真っ先に感じたのは「こりゃきっと下りの時の方がキツそうだわ」でした。
何しろ一段がやたら高い、その上あまり平らではない石も沢山あるのです。
転んで怪我しなきゃいいけど大丈夫かな、とやや不安でした。
それでもここまで来たら上るしかありません。
いざ、入場料を払って出発です。
最初の石段途中左手に見えてきたのは「伝豊臣秀吉邸跡」この右下が「伝前田利家邸跡」で右上が「伝徳川家康邸跡」
これらの邸宅跡は、そんなに悪くない場所のように個人的には感じました。
だって重臣だからと言って、天主の側のもっと高い場所に邸宅建てさせてもらっても、あんまり嬉しくないと思うんだけどなぁ。
高過ぎると色々と不便で仕方ないでしょ。
なんてのは所詮小市民的発想なんでしょうけどね。
これより上にも「伝織田信忠邸跡」だの「伝森蘭丸邸跡」なんてのがあるそうなのですが、どこのことだか良くわかりませんでした。というより、
あまりの上りの辛さに景色を眺めている余裕なんて、す〜ぐどこかに吹っ飛んでいきましたから。
とにかくヘトヘトなので、次に足を運ぶ目の前の石段しか目に入りませんてば。
天主跡から遠く琵琶湖を望む
信長もこの景色を見ていたのか
な〜んて思ったら大間違い
そんなこんなでなんとか山頂の天主跡に到着、ようやく景色を眺める余裕ができました。
織田信長が生きていた頃には、この安土山の山裾まで琵琶湖の水が来ていたそうです。
なので上の写真は信長の眺めていた景色とは全く違うってことですな。
写真の方向に信長が見つめていたのは琵琶湖の水のみということになります。
鬱蒼とした木々に覆われ苔むした石垣はまさに
つわものどもが夢のあと
こうしていよいよ懸案の下り道です。
上りと下りは違う道を行きます。
案の定転んだ者が一人。
一番若い下の娘が思いきり前方に向かって転んで左の膝小僧にアザを作りました。
でも彼女はこの翌日何もない所で転んで、今度は右の膝小僧にさらに大きなアザを作ったので(笑)この登山の負傷としては軽く済んだので良かったです。
下り道の途中で、私より若いと思しき女性を追い越しました。
体にボリュームのある方で、みたところ膝の荷重オーバーのようです。
ところがその後、慎重にそろりそろり石段を降りる私を、明らかに私より年上の夫婦がスタスタ追い越して行ったのです。
恐るべしシルバーパワー!
私が10年後20年後に、あの夫婦のように軽快に歩けることはないと思います。
その観点からすれば、今回こうしてこの安土城跡見学に行ったのは、ラストチャンスだったかもしれません。
思い立ったが吉日。いつか行きたいじゃ、いつまでたっても行けないわよね。
この三重塔は室町時代の建物だそうです。
ぱっと見ではきちんと手入れされてるんだか、されてないんだかわからない状態でした。
石段の整備されていない具合も、荒れているという程度ではなくて、手入れはされているけれど、整備はされていない、そういう微妙な感じでした。
観光地ではなく史跡、そんな雰囲気を味わうには絶好の場所です。
歴史好きならば一度は尋ねてみる価値があると思います。
この後我々は乳酸が溜まりに溜まった足を引きずりながら、帰宅の道を東へと進みます。
シャチと城を巡る旅はこれで終了。お疲れ様でした〜。
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